こんにちは~nannanです♪
今日は森洸大(もりこうた)さんのお話です。
DWS(Dirty Workers Studio Japan)、PERIMETRON(ペリメトロン)、millennium parade(ミレニアムパレード)で活動されています。
millennium parade(ミレニアムパレード)ではステージに上がってパフォーマンスもしていますね。
King Gnu(キングヌー)の「白日」のジャケットも森さんが手がけています。
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そんな森さんの経歴について調べてみました。
まずは森さんの簡単プロフィールから。
森洸大(もりこうた)簡単プロフィール
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(後列左から2番目が森さん)
*DWS(Dirty Workers Studio Japan):色流し(しきながし)ペインター
日本伝統技術「墨流し」の技法を改良し再解釈した独自のスタイルを「色流し」と名付け、東京を拠点に国内外でガラクタもデタラメも色濃く塗り替え活動する。
染めて食って寝る、極彩色流シ表現集団。
*PERIMETRON(ペリメトロン):アートデザイナー・マスクメーカー
King Gnuの常田大希が主宰するクリエイティブレーベル
*millennium parade(ミレニアムパレード):デザイナー・アートディレクター・サンプラー・アジテーター・ラップ
King Gnuの常田大希が主宰する音楽プロジェクト
森洸大(もりこうた)経歴
ではここからは森さんの経歴です。
幼少期
森さんは3歳の時にお父さまのお仕事の関係でアメリカへ行き5年間暮らします。
カリフォルニア州にあるロスアンゼルスのレドンドビーチというところでした。
8歳の時に帰国、神奈川県の藤沢で生活します。
小・中学校時代
小学校・中学校の時は、SLIPNOT(スリップノット)・MUDVAYNE(マッドヴェイン)、LIMPBIZKIT(リンプ・ビズキット)の音楽が好きでよく聞いていました。
ヘビーメタルがお好きだったんですね。
SLIPNOTは、各メンバーがそれぞれ異なったユニークなマスクを被ってパフォーマンスをすることで有名で、そのマスクがかっこよくてすごく好きでした。
そのマスクを紙粘土とかで作ってかぶって廊下を駆け回る…そんな中学生でした。
あとはスケボー、そしてバンドもやっていました。
高校時代
私立鵠沼高校へ進学します。
理由は
- 自宅から一番近かった
- 1ヶ月のアメリカ研修があった
からです。
特にアメリカには8歳で帰国して以来、また行きたいと思いつつ行けずにいました。
なのでこの高校に決めました。
高校時代はバスケに明け暮れる毎日、文化祭ではバンドをやり、帰宅後はスケボー。
それだけだったと話しています。
この生活はまさに「ザ・高校生」ですよね、楽しそう♪
進路を決める時期になりました。
ずっと変わらずマスクを作り、所属していた美術部の卒業制作もマスク、本当にモノ作りが好きでした。
さらに言えば、他にやりたいこともありませんでした。
そこでSLIPNOTのマスクは誰が作っているのかをいろいろ検索して調べてみると…その当時の彼らのマスクを作っていたのは、なんと日本人!
SCREAMING MAD GEOGE(スクリーミング・マッド・ジョージ)という特殊メイクをやっている大阪出身のアーティストでした。
テレビでも特殊メイクを特集している番組を見て、特殊メイクをやっているとマスクが作れると思い、専門学校へ進学します。
専門学校時代
「バンタンっていう専門学校にその時は特殊メイク造形学科みたいなのがあったんでそれに行くことにして…」
そこからの出会いがいろいろ今のところまでつながってきています。
卒業後
先生や卒業生のつながりで仕事をしていましたが、それだけではなくバイトもしていました。
ある時、バンタンの後輩から誘いがあり、その後輩がついていた師匠の仕事で大きなCMの仕事を一緒にやることになりました。
モヒカンにユニオンジャックをペイントするものでしたが、その仕事が規模が大きすぎて誰のためにやっているのかわからなくなりました。
えらい人たちはモデルをちやほやしながらワイワイやっていたけれどそこ以外はあまりつながっている感じがしなくて取り残されている感が強かったそうです。
そのスケールの大きさに魅力を感じられず「俺がこれを作って誰が喜んでくれてんだろう」みたいな気持ちになりました。
それが方向転換する大きなきっかけになりDWSをはじめました。
ちなみにそれぞれのチームスタイルとしては
DWS(Dirty Workers Studio Japan)
みんなめっちゃわがまま…やりたくないことはやりたくない。
でもそれじゃ稼げない。
でもカッケーことして稼ぎたい、飯食いたい。
が目的で始めた。
「食えなくてもやりたいことをやるんだというより好きなことをして絶対に食いたい。」
PERIMETRON(ペリメトロン)
結構みんなが同じ方向をちゃんと向いていて(100人いたら100人がそうかと言われたら難しいが)大軸を決めていく人たち(佐々木集・オスリン)がみんな作品に対しての愛がちゃんとある。
周りの人たちにもすごく敬意を払える(先述のCMの仕事にはそれがあまり感じられなかった)。
今はとにかくいいものを作るというそれだけのことをめがけてやっていけるのが一番大きい。
いい作品を作るということが最終的なラインで、結果それがそのクライアントに対してもいいことになったらいいなと思う。
とにかく「いいものを作る」ということを一番優先している。
番外編:フジロックについて
ここではMC TAKAさんのYouTubeチャンネルから、2021年のフジロックにmillennium parade(ミレニアムパレード)として出演したお話が素敵だったので抜粋でお伝えします。
生粋のミュージシャンじゃない状態で、ミュージシャンが夢見る舞台に出演したことについて
(常田)大希は「ものを作っているやつも別に裏方として見ていない」「クリエイターだってアーティストだし同じ立場にいるはずだ」という思いがある。
今までの3回のライブは、プレイヤーじゃないから音楽をなるべく邪魔しないようにいかに盛り上げることができるか、音楽的にはプラスアルファな無駄なことはせず準備されたことをちゃんとやるという気持ちだった。
今回は今まで以上にプレッシャーだった。
今まではワンマンでホーム(自分たちのファンが自分たちの音楽を聴きに来るという状態)だったし自分のこともわかってくれているというある種の甘えのようなものもあった。
今回は外国人アーティストも来ない、ホワイトステージのトリ、ヤバイ…。
今までと同じやり方ではだめだ、自分には何ができるだろう…と思って一番最初に思い付いたのは筋トレ。
まずは立ち様でカッケーやつにとりあえずなんないと…音楽的には追いつこうとしても無理だから。何かひとつ圧倒的な、継続的な努力をしないと自分の気持ちが落ち着かなかった。
セットリストが決まり始めた時、「Philip」をやりたいと自ら申し出た。
ラップ難しめの曲だけど、このセットリストには絶対あった方がいいと思った。
マジで?行ける?
歌詞は全部覚えた。
OKじゃあ行こう。
そこからバイブスがめっちゃ変わった。
今まで音楽とデザインなどのクリエイティブは別物だと思っていたけれど、音楽だろうがデザインだろうがアートディレクションだろうが絵だろうが、何か一つの表現をしてそれを形にしてそれを誰かに届ける行為としては同じだと痛感した。
モノづくりとして考えたらめっちゃ一緒だし、フジロックのミレパのステージをひとつの作品だとしたら、それに対して「もっとこうしたらいいのになぁ」ということを思いながらもやらないのはなぜなんだろう…という気持ちがわいてきた。
今まではそれが怖くてやれなかった。
自分がプレイヤーじゃないから、音楽をやっている人の中で「こうした方がかっこいい」というチャレンジが怖くてできなかった。
でも、そのステージをひとつの作品だと捉えたらいつもやっていることと同じだと気づいた。
音楽の時だけ、音楽とクリエイティブと言われるものを分けて考えていたけれどそうではないんだと思い、今回のリハから自分からも様々な提案ができるようになった。
音楽ってこうなんだ!と気づけたことは大きかった。
音楽も一つの表現としてこれからちょっとやっていきたい。
この動画の「長めのおまけ」で、森さんが気づきの瞬間をお話ししています。
まとめ
森洸大(もりこうた)さんについてのお話でした。
たくさんの作品にかかわって大忙しの日々、大活躍ですね。
周りのメンツもすごい人たちばかりなので、皆さんが切磋琢磨していったら
さらにすごいことになりそうです。
穏やかな話し方もいいですね。
今後の活躍も楽しみにしています。
森洸大(もりこうた)さんがアートワークを手掛けたmillennium parade(ミレニアムパレード)のアルバム「THE MILLENNIUM PARADE」はこちら